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宇都宮地方裁判所 昭和37年(わ)134号 判決

被告人

藤川甲子雄

外一名

主文

被告人藤川甲子雄を懲役六月に、

被告人斎藤桂一郎を懲役四月に各処する。

ただし本裁判確定の日より壱年間右各刑の執行を猶予する。

訴訟費用中証人大竹実に支給した分は被告人斎藤桂一郎の負担とし、その余は被告人両名の連帯負担とする。

理由

(本件発生までの経緯)

日本国有鉄道労働組合(以下単に「国労」と略称する)は日本国有鉄道(以下「国鉄」と略称する)の職員を組合員とする労働組合で、同企業内の職員総数の四分の三以上を組合員としているもの、被告人藤川甲子雄は昭和二一年六月一日国鉄に入り、以来宇都宮保線区の技術係職員として勤務し昭和三二年九月頃から国労高崎地方本部(以下「高崎地本」と略称)執行副委員長となつたもの、被告人斎藤桂一郎は昭和一一年一〇月二〇日国鉄職員となり、以来車掌として勤務し昭和三六年九月頃から同地本執行委員で財政部長の地位にあつて、両被告人とも組合業務に専従していた。

国労は昭和三六年度年度末手当(特別給与である業績賞与)に関し同三七年二月七日国鉄当局(以下単に「当局」と略称する)に対し基準内賃金の〇・五ケ月分プラス三千円の支給(ほか十一項目)を要求したが、当局は同月二二日それぞれの要求項目ごとに回答し、年度末手当については団体交渉(以下「団交」と略称する)によつて決めたいと答えたので、当局と国労とは同年三月七日を第一回とし爾来数回に亘つて団交を重ね、同月二三日の第三回団交に至り当局から〇・四ケ月分支給の回答があつたが、国労としては同年度の増収見込額が約二八〇億円程度で右増収は職員数の増加なしに殆んど現職員の努力によつて為されたものであるから前年度を下廻る年度末手当では甚だしく不当であり、少くとも前年度と同じ〇・五ケ月分を支給すべきであるとの見地から右当局の回答を極めて不満としていた。

その頃同一企業内の動力車労働組合(以下「動労」と略称する)は国労とは別個に当局と妥結の動きを見せ、当局またこれに応ずる気構えを示したので、国労としては折からいわゆる公労協の統一春闘の最中でもあり、右の動きに抗議すべく、同年三月二七日早朝の時限スト指令を発するとともに三月二六日夜当局とさらに団交に入つた。同夜の団交においては当局から「〇・四ケ月分プラス報労金千円」の提示がなされたが、国労としてはなお不満のためさらに交渉を継続することとし、ただ同夜の交渉の成果として、当局が国労をさしおいて他の動労ほか二組合(国鉄地方労働組合総連合および国鉄職能別労働組合)と一方的に右年度末手当等に関する団交を妥結するようなことはしない旨を確約したとして前記時限スト指令を解除したところ、その頃国労とは別個に、当局側と団交していた右動労ほか二組合は三月二七日早暁に及んで当局から提示されていた前記「〇・四ケ月分プラス千円」の支給案を相次いで受諾し、ここに当局と右三組合間の団交は妥結を見るに至つたため、国労は右妥結をもつて多数労働者組合尊重の原理並びに永年の国鉄企業内における労使間の慣行に反するばかりでなく、当局側が前記国労との間の確約を無視したもので著しい背信行為であるとしてこれが白紙撤回を当局に迫つたが折合わず、ついに交渉を打切り、同日中央執行委員会を開き、当局に強い反省を求めるため結局本件被告人らのいわゆる抗議ストを決行するに至つた。すなわち同委員会は「各地方本部は三月三〇日二二時以降三月三一日八時迄の間に運輸運転関係の職場を指定し、勤務時間内二時間の時限ストを実施す」べきことを決定し、中央本部闘争強化指令二四号として各国労地本執行委員長宛に発令した。

国労高崎地本は三月二七日同本部委員長桜井俊夫が右指令の伝達を受けるや翌二八日右地本事務所内で被告人らを含めた一四名の執行委員出席のもとに執行委員会を開催し前記中央における団交経過等の情勢を説明し執行委員らは右指令二四号に基く時限ストの必要性を確認し、その実施要領を次の如く協議決定した。

(1)  闘争拠点は黒磯、宇都宮、小山、高崎、高崎操車場、熊谷の六箇所とする。

(2)  派遣執行委員は高崎方面は桜井俊夫ほか(氏名省略)とし、東北線方面は被告人藤川甲子雄、同斎藤桂一郎ほか(氏名省略)とし、高崎方面の最高責任者を桜井委員長、東北線方面の最高責任者を藤川副委員長とする。

(3)  動員は宇都宮に約三百名、高崎約五百名とする。

(4)  具体的戦術は現地の具体的状況に応じて派遣執行委員が決定する。

以上の協議に基づいて被告人両名は国労所属の他の労組員と共に本件行動を起すに至つた。

(罪となるべき事実)

被告人両名は昭和三七年三月三一日未明に国労高崎地本所属の労組員約五〇名と共に栃木県那須郡黒磯町大字黒磯四〇番地所在国鉄黒磯駅に至り午前一時三〇分頃同駅構内信号所前で同所内に勤務する労組員に対して職場大会参加を呼掛けたが応ぜられなかつたところから、威力を用いて列車の運行を阻止し、国鉄の業務を妨害することを共謀のうえ、右同日午前一時四五分頃から同三時四五分頃までの間、被告人藤川甲子雄はその指揮下にある二十数名と共に同駅構内南部地区にある所謂P点(上り列車より解放した交流機関車が機廻線に入るための折返し点)の北方約一二〇メートルの地点で、交流機関車を解放したあと、上り列車に連結する直流機関車が直流機留線よりホームに進入する際必らず通過しなければならない箇所の軌条内に立ち塞がり、また被告人斎藤はその指揮下にある他の二十数名と共に、右駅北部の所謂W点(交直限界ともいい、下り列車に連結する交流機関車が交流機留線より進入する際必らず通過しなければならない箇所)北方約八メートルの地点の軌条内に立ち塞がり、よつてその間黒磯駅に到着した上り四一二列車(普通旅客列車)、同一三四列車(普通旅客列車)、下り六一列車(貨物列車)、同四〇五列車(急行旅客列車)を黒磯駅で停車したまま発車不能にさせたほか黒磯駅で上下線を塞ぐことによつて合計一一本の列車を黒田原駅等に停車するの余儀なきに立至らしめ、総計一五本の列車をして三十数分ないし二時間数分間その運行を遅延させ、もつて威力を用い国鉄の正常な列車運行の業務を妨害したものである。

(証拠の標目)(略)

(弁護人らの主張に対する判断)

被告人および弁護人らは本件被告人らの行為は違法性を欠いて無罪であるか、仮に違法性があるとしても責任は無いということを種々の観点から主張するので以下にその論旨の大要とこれに対する当裁判所の判断を示すこととする。

弁護人小林直人の主張について。

同弁護人論旨第一点は、『国鉄企業内においては労働組合が当局と団体交渉をするに当り職員総数の四分の三以上を占める多数者組合たる国鉄労組が同一事項については他の少数者組合に優先して当局と妥結をする労使慣行があり、これによつて企業内における多元的交渉を止揚し複数団交間の秩序を形成していた。このことは労組法一七条の解釈からしても当然のことといわなければならない。すなわち国鉄企業内における組合形成の経緯を顧みるに、公労法施行(昭和二四年六月一日)前における国鉄企業内には唯一の国鉄労働組合しか存在しなかつた。しかるに機関車労働組合が昭和二六年五月に結成され、これにより国鉄企業内には複数組合の存在を見るに至つたがなお団体交渉の単位は従前どおり企業内一単位とされた。機労は交渉単位を獲得するため昭和二六年五月一九日東京地裁へ団体交渉に関する仮処分請求を行なつたが同年一〇月一二日付で敗訴した。昭和二七年度における国鉄当局の機労へ提示した団交方式や昭和二八年三月二六日の労働大臣の裁定はいずれも日本国有鉄道全職員を一つの交渉単位とした。しかしながら機関区従業員という職員集団が認められ、昭和二九年度の交渉単位に関する協約で機労は機関車単位を獲得することになつた。ところで昭和二九年三月から一一月に至る臨時公共企業体合理化審議会の答申を経て昭和三一年五月に至り公労法は改正されそれによつて交渉単位制度は正式に廃止されるに至つた。交渉単位制廃止後において国鉄企業内のそれぞれの組合と国鉄当局との間の団体交渉秩序の形成力は労組法一七条(一般的拘束力制度)の作用に帰する。交渉単位制度時代の国鉄労働組合の優位は右制度がなくなつた後には労組法一七条を基盤として職員の四分の三以上を占める多数者組合の団交上の優位として継続した』というのである。

鑑定人、証人峯村光郎、同野村平爾の各尋問調書中の供述記載および本件発生までの経緯について挙示した各証拠によれば国鉄企業内においては弁護人主張のような経緯をもつて労働組合が結成され、当局との団交についてはその主張のような変遷を経て国労が団交上の優位を獲得したことはこれを認めることができる。

ところで弁護人は当裁判所に対して労組法第一七条の解釈を強く求めるので以下この点に関する当裁判所の見解を明らかにしておく。

そもそも同一企業内に複数の労働組合が存在し、ともに同一事項について使用者側と労働協約を締結した場合に、少数者組合についてはいずれの労働協約が適用されるかの問題については弁護人が述べるように学説も区々に別れている。その中には労働者の団結権と団体交渉権の独自性を保障する憲法第二八条の趣旨に反するとの理由から互いに他の組合の締結した協約に拘束されないとの見解も存するが、当裁判所は本条そのものの解釈としては同一企業内における別個の協約の併存は労働条件等に統一を欠くこととなり不当であるから、多数者組合の協約が少数者組合に不利でない限りこれを拘束すると解すべきものであると信ずる。したがつて峯村光郎、野村平爾両鑑定人のこの点に関する見解と軌を一にするものである。

ただ本件においては後にも説明するとおり多数者組合たる国労は弁護人の主張自体において明らかなように未だ当局と協約を締結するに至つていなかつたのであるから、仮に当局が少数者組合との妥結の結果を事実上押しつけるような態度であつたとしてもそのことは前記法条の効果を生ずるわけのものでなく国労としてはいささかの拘束も受けないものと解すべきであるから、右のような当局の態度が被告人らの本件行動を誘発するに至つたという点では情状として十分考慮に値することではあるが前記労組法第一七条の解釈は本件において被告人らの行為の違法性を阻却する事由たり得るか否かと直接の関わりはないものというべきである。

同弁護人論旨第二、三、五点は『被告人らの本件行動は当局側の団体交渉における誠実交渉義務違反に起因するものである。すなわち、昭和三七年三月二六日夜の第五回団体交渉において国労は当局に対し国労と妥結する前に他組合と妥結しないと約束するように申し入れ、河村職員局長はこれに同意した結果、当局は国労に対し年度末手当問題について、

(1)  他労組と妥結した結果を国鉄労組員に拡張適用し一方的に支給することはしない。

(2)  従来の労使慣行に従い、国労と妥結前に他労組と妥結することはしない。

ことを約束した事実が明確である。それにも拘らず翌日午前四時頃、当局は国労との前記約束を無視した動力車労組と0.4プラス千円で妥結し(国労の要求は0.5プラス三千円だつた)引続き午前八時半以後職能労連等が妥結した。右に対し国労では同日の団交で当局に対し右妥結を国労との交渉関係では白紙に還元することを要求したが当局はこれを拒否した。かような当局の態度は、四分の三以上の職員を有する国鉄労組との団交を敬遠、回避し、四分の一未満の職員しかもたない他の労組と優先交渉し、先行妥結した結果を労組法一七条の精神に違反して全職員に拡張適用し国鉄労組に押しつけるための形式的手続として為されたものであり、国鉄労組の団体交渉権を実質上空洞化せしめるものであつて団体交渉の拒否と異なるところのない典型的な不誠実交渉行為であると認めざるを得ない。国鉄当局は三月二七日の団体交渉における不誠実交渉行為をはじめとしそれ以降本件行動が行なわれるに至るまでその態度を改めないためついに本件を惹起せしめたものである。

そもそも使用者の誠実交渉義務は労働法規上明文の根拠はないけれども学説上異論はなく判例法上また労働委員会の命令等においても労組法七条二号の解釈上一般に承認されるところとなつている。そして使用者の不誠実交渉行為の類型には種々あるが、これを本件についてみると、国鉄本社職員局長河村勝が昭和三七年三月二六日夜の約束に反して翌二七日未明に少数組合である動労外二組合と交渉を妥結しておき、国労に対しては「少数者組合との妥結内容を受諾するか拒否するか」というかたちで提示し、国労がこれを拒否するや、右少数者組合との妥結結果を国労組合員を含む全職員に一方的に強行実施しようとしたことが「交渉途中における使用者の不誠実な態度」および「交渉中途で打ち切る使用者の不誠実な態度」のそれぞれの組み合さつた類型に該当し、二号型不当労働行為を構成すると断ずべきものである』というのであり、

同四点は『被告人らの本件行為の基礎たる国労の本件団体行動は検察官のいうような年度末手当要求を貫徹することを主目的として行なつたものではない。何となれば、年度末手当要求に関しては過去において必らず団体交渉により解決し、未だかつて実力行使を組んだことがないのである。この事情は昭和三六年度年度末手当に関してもほんらい異らないのである。年度末手当の額は一人当り数千円程度の線で妥結されるものであつて、当初要求額といえども一人当り一万円に達したことがない零細なものである。この年度末手当獲得の目的をもつて一旦実力行使を組めば、闘争費そのものが獲得額を食つてしまうのである。そのような採算無視の不合理な闘争指導は現実にあり得ないのである。したがつて年度末手当要求の貫徹を目的として実力行使を指令することはあり得ない点を理解しなければならない。国鉄当局と国労との間における昭和三六年度業績賞与(年度末手当)支給に関する団体交渉は様相を異にする数次の過程を経た結果(弁論ではその詳細を述べているがここに引用することは省略する)国鉄当局が多数組合たる国労を無視して少数組合と年度末手当について交渉を妥結するという背信行為を敢てするに至つたので国労中央執行委員会は断固たる決意のもとに国鉄当局の非違を徹底的に抗議し、組合の団体交渉権の回復擁護のために指令を発し、これにより被告人らの本件行動がとられたのであつて、国労および被告人らの本件行動は国労の右団交権擁護のための緊急止むを得ない自力救済であつたのである』というのであり、

同第六点は『被告人らにかかる国労の本件対抗行動は団体交渉行為ないし団体交渉に必要な行為として「団体交渉その他の行為」(公労法三条、労組法一条二項)に該当し、刑法第三五条の正当行為であり、全体として実質的違法性を欠き、被告人らの行動は罪とならない。すなわち、

(1)  労働組合が使用者の団交拒否の不当労働行為に抗議し、これを撤回せしめ、使用者をして団体交渉に応ぜしめもつて団交権を回復擁護するために団結を固めその組織力を背景としてなす実力行使は、それが団体交渉の開始に向けられ交渉自体を準備する先行行為であるという面では団体交渉の一部ないしそれに準ずる行為(団体交渉を行なうに必要不可欠な行為)であり、またそれが実力行使として「業務の正常な運営を阻害する一切の行為」である行為型態の点では争議行為と等しい。そして労調法の法規の面からすればかような場合は争議行為と目されるのであるが、同法における調整の対象として構成される争議行為の概念と労働組合の行為の正当性を考える場合の争議行為の概念とは理論上別個のものである。争議権の保障という場合には当然団体交渉手続を前提にし、労使両当事者の主張の不一致が存在しこれを解決する方途として争議行為が構想されている。ところが団体交渉が拒否されている場合には、紛争は存在しても団体交渉を行なつたうえでの主張の不一致というかたちでの対立状態が成立する余地がない。それ以前の段階である。そうした紛争状態を団体交渉という手続・ルートに乗せるための行動は団体交渉の先行行為であつて団体交渉の後行行為たるべき争議行為とは明らかに異質のものである。実質的にも使用者の団体交渉拒否の不当労働行為による団体交渉権侵害を回復する行動は権利擁護の行動であつて経済要求貫徹のための行動とは性格が異なる。したがつて、この労働組合の対抗行為は「団体交渉」行為ないし「団体交渉」を狭義に交渉自体と解するとしても、交渉そのものではないが団体交渉に必要な行為として「団体交渉その他の行為」(公労法三条・労組法一条二項)に該当するものと解すべきである。

(2)  使用者による団体交渉権侵害を回復するための労働組合の対抗行為については労組法一条二項の適用があるが、正当性評価に関する一般理論がそこに妥当する。ただこの場合には使用者の右侵害が正当性評価の要因として特に検討されなくてはならない。

(3)  公共企業体等においては問題は一般企業の場合よりもさらに重大であり、正当性評価に当つて団交権侵害の要因はとりわけ考慮されなくてはならない。公労法の目的は「団体交渉の慣行と手続とを確立することによつて」公共事業の正常な運営を確保することにあるとされる(同法一条)。そのために争議行為は禁止される。すなわち、第一次的に団体交渉手続を徹底して尊重遂行し、しかるのち主張の不一致の解決を労働組合権としてあまねく与えられてある争議権の行使によらしめず争議を禁止する代償措置である労働委員会による仲裁制度に行なわしめようというのである。ストライキ権は労働者の職業的生活利益を擁護するための不可欠の基本的本質的手段としてあまねく労働組合および労働者が享有するものであるが、基幹的サーヴイスにおいてはストライキ権の行使に実質的に代替するだけの代償制度によつてストライキ権を一時的部分的に制限することは団結侵害にならない。右の仲裁制度が代償措置としての実効性に乏しい点についてはI・L・O異変の痛烈な指摘を受けている。そのうえさらに団体交渉権まで侵害するのでは甚しく不当である。したがつて、いやしくも公共企業体等の使用者が団体交渉拒否の不当労働行為を犯した場合、労働組合の対抗行為は一般の企業における場合よりは大幅に正当化されなくてはならない。また、かりに右対抗行為が争議行為と認められるとしても、この場合には公労法一七条の争議禁止は解除されるものと解釈すべきである。

団体交渉権の侵害は同時に団結権の否認である。すなわち、使用者が団体交渉を正当な理由なく拒否するということは当該労働組合の団結体を交渉相手として認めないということであり、それはとりもなおさず、本来労働者の団結によつて労使対等の立場において使用者との間の関係を展開することに存在意義のある労働組合を実効性のない無価値のものに化せしめることになる。この意味において使用者が意図すると否とに拘らず交渉拒否は団結否認になるのである。いうまでもなく、団結権、団体交渉権は憲法上の基本的人権であり侵すことのできない永久の権利として、国民の不断の努力によつてこれを保持しなければならないものである。したがつて、労働組合の対抗行為は憲法上の法益の擁護にむけられた憲法的意義ある行動である。しかも団体交渉の拒否は、ことの性質上緊急な対処を必要とし、団体交渉権侵害の回復が遷延した場合には労働組合は重大な損害をこうむる結果となる。現に例えば国鉄労働組合の場合、昭和二九年および昭和三二年両回の国鉄当局の団体交渉不当拒否により回復し難い甚大な組織上の損害をこうむつている。重大明白な団体交渉権侵害という不当労働行為に対し、使用者の非違を是正するための措置が急を要することは右の歴史的事実に照らし疑を入れない。したがつて、不当労働行為に対する法律上の救済手段があるからといつて労働組合の対抗行為が正当性を失うわけではない。

(4)  国鉄労組の本件対抗行動は当局の国鉄労組の団交権侵害、国労の組織弱体化を企図した団結権否認、不誠意なる交渉態度による国労への挑発行為がその原因であつて、本件発生直前における国鉄当局の非違は甚だしく、これを是正するために国鉄労組はその全組織を挙げてこれに抗議するほかはなかつた。しかもその抗議行動は当時として緊急を要し他にとるべき方法のない自力救済であり、本件行動によつて国鉄当局や一般第三者の蒙つた損害は国労の受けた団結権の侵害に比すればその法益の優劣において比較すべくもない軽微なものだつた。』というのである。

証人山田耻目、別件証人河村勝、同江田三郎の各尋問調書中の供述記載を総合すれば、判示認定のとおり当局は昭和三六年度年度末手当支給に関する団交につき昭和三七年三月二七日、労働組合員となる資格を有する国鉄職員の四分の三以上から成る労働組合たる国労との交渉妥結に先んじて少数者労働組合たる動労その他の小組合との間に団交を妥結し、その後国労に対しても年度末手当支給額として動労等との妥結内容と同一のものを強く主張したことを認めることができる。

憲法第二八条および労働組合法の解釈上、一企業内労働者総数の四分の三以上から成る労働組合の団交妥結前に同一企業内の少数者労働組合との団交が先に妥結したとしても右妥結内容が当然に多数者労働組合の団交内容やその効果を左右することはあり得ないばかりでなく、後者の妥結内容が前者のそれに変更を及ぼすようなこともないと解するのを相当とする。ただ同一企業内に複数の組合が併存する場合における同一事項に関する団交妥結の順序としては労組法一七条に窺われる多数者労働組合の地位を尊重することと企業内労働秩序の統一を図るうえからも多数者労働組合との交渉妥結を先にするのが妥当の場合が多いであらうが、事情によつては多数者労働組合との団交妥結前に少数者組合との団交が先に妥結されたからといつて、その一事をもつて当然に多数者組合が面目を失墜し存在意義を奪われ、ひいてはその団交権、団結権を侵害されたものということはできない。

もつとも、使用者が多数者労働組合との団交を自己に有利ならしめる方策として先ず少数者労働組合との間の団交を妥結し、以後前者との団交において実質的に後者との妥結結果の押しつけを図ることは前者の団交権の侵害となることはいうまでもない。本件においては前記証人河村勝、同山田耻目の各尋問調書中の供述記載を総合すれば、当局が国労との団交妥結に先立つて動労その他の小組合との団交を妥結したことについては動労その他の小組合がその内部事情から当局の主張する支給額を承認しての早期妥結を希望したことが契機となつていることが認められ、ただ動労等との右交渉妥結は当局側の交渉委員が右妥結前夜国労側との団交の席上動労との団交を先に妥結することはしない旨言明したに拘らずこれに背いてなされた疑があり、いずれにしても国労の要望を深く顧慮することなく少数組合との交渉を妥結した当局の措置には穏当を欠くものとして批判さるべき余地は残されているように考えられ、殊に右のような措置は従来の国鉄労使関係における実情に反するようにも見受けられるのである。しかしながら以上認定のような事情の存在をもつてしてもそれだけで直ちに国労の団結権、団体交渉権が侵害されたものということはできず、弁護人主張のような国鉄企業内部における労使慣行の存在は認められないことはないけれども当局が本件当時右慣行に反したとしても国労以外の前記三組合もたとえ少数組合とはいえ団交権を有するのであるから当局がこれら組合と前記のように団交を妥結してもそれ自体は国労に対し不当労働行為とはなり得ない。そして当局が動労等との右交渉妥結後当局と国労との団交が頓挫して中断状態に陥つたのは、国労側が当局の右交渉妥結を労使慣行違反、背信行為として烈しく攻撃し交渉妥結を白紙に戻すよう強く主張したのに対し当局は年度末手当支給額に関する従前の主張を強硬に維持して譲らなかつたことによるものと認められ、当局が動労等との前記交渉妥結を理由にその妥結結果を既成事実として国労に押しつけ、国労との団交を有利に律しようと試みた形跡についてはこれを明らかにする証拠はない。それ故弁護人が主張するような当局による国労の団結権、団体交渉権侵害の事実はこれを認めることができず、従つてこれを前提とする弁護人の自力救済、緊急避難および実質的違法性阻却事由の存在に関する主張は理由がない。

もつとも、当時国労本部からの情報や指令に基き中央の交渉状況に関する知識を得ていた被告人らとしては右情報、指令により当局が動労等との交渉妥結結果を国労に押しつけ、国労の有する団交権を侵害しつつあるものとの判断を抱いたであろうことは十分肯認し得るところであるが、被告人らの判示所為が右の如き判断を前提として国鉄当局の反省を求めその不法な態度を改めさせる手段としてなされたにしても、本件のように多数の労組員が国鉄駅構内の線路上に立塞がり列車の運行を阻止することは不慮の危険を伴い各方面に予期しない多くの支障を生ずる虞れがあり社会に及ぼす影響は極めて甚大で、手段としても如何にも穏当を欠くもので他に方法がないわけでもないと思料されるから被告人らが判示のような非常手段に出たことはたとえ被告人らが主観的には国労の団交権防衛を目的としたものとしてもなお未だ緊急止むを得ない行為ということはできない。

同第七点は超法規的違法性阻却事由を云々するが、本件において具体的に如何なる点にこれを求むべきかは論じていない(尤も前記第六点等における実質的違法性阻却事由がこれに包含され、あるいは弁論の全趣旨からしても実質的にこれを論じたものと考えられないではないが、それらの点については総てそれぞれの点で考慮したわけである)からこれについては判断の限りでない。

同第八点は『最高裁昭和三八年三月一五日第二小法廷の判決は判例としての意義を有しない。同判決の理由は全体として、検察官の上告は上告適法の理由を欠く旨を判示したものであるが、その中に傍論として「公共企業体等の職員は争議行為を禁止され争議権自体を否定されている以上その争議行為について正当性の限界如何を論ずる余地はなく、したがつて労働組合法一条二項の適用はないものと解するのが相当である」旨言及した。弁護人は右の傍論部分が先例としての意義を何等有するものではないこと、しかもその判断が簡素に過ぎて公労法、労組法の解釈適用上深刻な疑問を免れないものであること、さらに国際労働法の法原則にも背反するものであることを主張する。同判決は最高裁大法廷の従来の判例見解と相反し先例たり得ない。最高裁大法廷昭和三五年七月一六日判決(集一四巻一二号二、五九一頁)同昭和三〇年一〇月二六日判決(集九巻一一号二、三一三頁)は共に公共企業体等の労働者は政策的に争議行為を禁止されているが、公企体等労働関係法に罰則はなく、労組法一条二項の刑事免責の適用がある旨を判断した先例である。すなわち、公労法一七条違反行為は解雇理由とされる違法行為(民事的違法)とはなつても刑罰を科せられるべき可罰的違法は構成しないのである。しかるに前記の三、一五判決の傍論部分はこのような従来の最高裁判例の考え方と矛盾背反する。すなわち右判示は本来英米法にいわゆる判決理由(レイシオ・デシデンダイ)ではなく、正に附随的意見(オバイター・デイクタ)に当るもので、かようなものが拘束性をもつ判例といえないことはわが国においても全く同様である。』というのである。

弁護人主張の先例たる意義を有する最高裁の判例(昭和三〇年一〇月二六日大法廷判決、刑集九巻一一号二、三一三頁)の趣旨に関する学説の解釈は「禁止をおかした争議行為が禁止規定の特に存しないかぎり合法とされる範囲内の行為であれば、当該争議行為の違法性は専ら争議行為の制限禁止規定が保護しようとする法益との関係において根拠づけられるものであり、直ちに刑法上の犯罪を構成するものではない。例えば同盟罷業の禁止が専ら企業主体の業務を保護するためではなく主として公共の福祉を保護することにおかれている場合には、同盟罷業が違法だからといつて直ちにそれが威力業務妨害罪を構成するものではない」(藤木英雄「労働争議行為と違法性」総合判例研究叢書刑法(8)一五九頁―一六三頁)としておりまた公共企業体等労働関係法の争議禁止規定違反によつて直ちに刑法上の違法性が導きだされるわけのものでないことも有力な学説の主張するところである(荘子邦雄「労働刑法」法律学全集42一六一頁―一六二頁)。そしてまた弁護人が先例に反すると主張する最高裁第二小法廷の判決に対しては「この判示でみのがすことのできない重大な点は『労働法上の違法性』と『市民刑法上の違法性』との概念的混同=同一視―すなわち、労働法的違法性と市民刑法的違法性(可罰的違法性)とをあたかも等質の違法評価であるかの如く解している思考的混乱である。はたして労働法的違法性と市民刑法的違法性とは等質の、または同一の価値評価概念であろうか。もし判示のごとく公労法一七条を解釈するにあたつて、公企体労働者の争議権自体の直接的な否定であり、争議行為の全面的な禁止であると解するとすると公労法三条をいかに合理的に解釈するのか、また公企体労働者の一七条違反の争議行為が直ちに可罰的違法性をもつた刑罰対象であると解するとすると公労法と同様な規定をもつ地公労法一一条一項、一二条一項、さらには国公法九八条五項、一一〇条一項一七号、地公法三七条一項、六一条四号等との間にはたして妥当な統一的解釈論を構成することが可能かどうか、またさらに、判示の見解のごとくであるとすれば、なぜに公労法中に直接の処罰規定を設けなかつたのかといつた数々の重大な解釈論上の矛盾がさけられない」とする労働法学者の批評(熊倉武「争議権の制限」労働法大系3一一〇頁―一一二頁)があり、右批評中に述べられた「労働法上の違法性」と「市民刑法上の違法性」の概念を区別すべきことについての諸学説が存することは弁護人の主張のとおりであり、当裁判所としても理論上この区別を認めるか否かは困難且つ重要なことがらであると思料する。「しかしながら第二小法廷の判決が最高裁の判例たり得ないとする弁護人の主張についてはにわかに賛同し難い。何故ならばわが最高裁の判例は英米法にいわゆるレイシオ・デシデンダイにあたるものでなくオバイター・デイクタであつても判例として承認されていることは実務上の慣例であり判例法主義を採らないわが国における判例の解釈が裁判制度を全く異にする英米と異なるのは当然のことといわなければならない。現に東京高裁昭和四〇年九月一四日第四刑事部判決は右第二小法廷判決を最高裁判所の判例として是認しているのである。ただ本件において被告人らの判示行為が正当な争議行為と認められないことは後段説示のとおりであるから結局以上の法律解釈は本件については直接の関わりを持たないことになる。

同第九点は『被告人らには期待不可能性による責任阻却もしくは責任軽減事由が存在する。被告人らの属した高崎地本の執行部が黒磯闘争を企画実施したのは純粋に本部指令二四号を履行する目的で為したものである。このような事情を検討すると、被告人らの所為は憲法(二八条)上および労組法上保障されている国鉄労組の団結権の作用(組織強制)の結果たる従属的行為であつて、被告人らが本部指令を拒否して本件行為に出でないことを期待することは一般的通念よりして可能であるとは認め難く、従つてその行為について被告人の立場によつて濃淡の別はあれ、被告人らにその責任を追求し、罪責を負わせるのは条理上必ずしも相当であると言い得ないので、たとえ被告人らの所為が他の労組員の行為と相挨つて国鉄業務を妨害する結果を惹起したとしても期待不可能による責任阻却(もしくは減軽)事由の存在を認めなければならない。』というのである。

被告人らが本件各所為に出た目的が弁護人主張のとおりであるとしても、被告人らとして前記のような目的のため判示各所為に出ることが不可避であつたとは認められないこと前記説示のとおりである。被告人らの判示各所為が弁護人主張の如く国鉄労組の組織強制の結果たる従属的行為として国労本部の指令実施のため為されたことは認められるが被告人らとしては本部指令の実施を図るにしても判示所為のような違法性の大きい方法によることを避け、より穏当な手段によるよう努力すべきであつたばかりでなく、そもそも本件被告人らの当公判廷における各供述に依ればむしろ被告人らが卒先して本件行為に出たものであることが認められるのであるからこれらは弁護人主張のようた組織強制の結果たる従属的行為とは到底認められず、したがつて被告人らに本件所為に出ないことを期待し得ないものではなく、弁護人の右主張は理由がない。

弁護人新井章の主張について。

同弁護人論旨第一点は『本件被告人らの所為は次に述べるような理由からして刑法第二三四条の構成要件に該当しない。すなわち、

1  被告人らの南北接点附近における所為は刑法の右条項にいう「威力を用い」に該らない。起訴状の記載によれば被告人らは右接点附近の軌条内外に「立塞がつた」というのである。もとより被告人ら組合員の「立並び」が一種のピケツトであり、組合員らに「列車を止める」目的があつたことは事実であるが、さりとて被告人らは強固なピケツトないしスクラムによつて絶対的、物理的に列車の運行を止めようとか、いかなる手段をもつてしても敢えて国鉄業務に打撃を与えようと意図したのでは決してなく、恰もスト破りや、非組合員を業務にいかしめぬよう説得し、交渉するための足掛りとしてそれにふさわしい程度のピケツトをはり「立並ばせ」ていたに過ぎないのである。そして被告人斎藤の駅構内操車係に対する言葉、態度は極めて隠やかで少しも威迫がましいところはなかつたし、被告人藤川の田崎助役や山浦駅長に対する態度も終始平静でかつ誠意をこめて説得、交渉しているのであつてこれまたいささかも威迫がましい言動はなかつた。従つて被告人らがその地位、勢威を利用して人を畏怖せしめ、その意思の自由を制圧するような勢力を示した事実は全く存しない。

2  被告人らの所為と業務停滞との間には相当な因果関係が存しない。

まず北部構内における下り貨物六一号列車牽機等の業務遂行停止についていえば右駅長や大森操車係は組合員に消極的、黙示的に闘争協力の意思があつたから簡単に組合員の姿を見ただけで業務遂行を放棄したのであり、南部における関係職員の場合も、もとより完全な自由意思に基いてではなかつたにせよ被告人らのピケにより自由意思を制圧されたというに至らない状況のもとで自ら業務遂行を停止せしめたに過ぎなかつたといわなければならない。つまり本件被告人らのピケツトと二時間弱の黒磯駅を中心とした国鉄業務の停滞という結果との間には業務遂行の権限職責をもつ操車係や駅長の暗黙裡の闘争協力意思―労働組合の闘争だから仕方がない、介入すべきでない、妨げたくないという気持―が介在し、これが約二時間の業務停滞という結果の発生により直接かつ決定的な影響を与えたのであり、したがつてさきの両者の間には単純素朴な原因結果の関係はもとより存在するが、それ以上に相当な定型的な因果関係の成立を指摘することはできないといわなければならない。それゆえ仮に本件被告人らのピケツトが「威力を用い」たことに該るとしても、なお右の点において「業務を妨害したる」ことに該当しないので、刑法第二三四条の構成要件を充足していないことに帰するのである。被告人らのピケツテイングは刑法の一般的理解に立つてみても第二三四条の「威力を用い」に該らず、仮に該るとしても「業務を妨害したる」こととならず、いずれの点よりしても同条の構成要件に該当しないといわなければならない。』というのである。

しかしながら刑法第二三四条にいう「威力」とは、犯人の威勢、人数および四囲の状勢よりみて被害者の自由意思を制圧するに足りる犯人側の勢力を指称し、且つ右勢力の有無は被害者の主観的条件の如何によつて左右されるべきものではなく、客観的にみて被害者の自由意思を制圧するに足りるものであればよいのであつて、現実に被害者が自由意思を制圧されたことを要するものではないとするのが判例である(最高裁昭和二八年一月三〇日第二小法廷判決)。

なお本件において被告人らが線路上に立ち塞がつて列車の進行を停止させようとしたのに運転係員(機関車の運転士と操車係双方を含めて)が強いて列車の運転を継続するならば車両との接触等による被告人らの身体、生命損傷の危険大なるものがあることは当然で、既にその危険の大なるものがある以上、目前のその危険を免れるために列車の運転や機関車の誘導を中止するのは人の身体、生命の安全をはかりこれが損傷を避けようとする人倫必然の要請であるから、このような事態を故意に作出した被告人らの本件行動は運転係員らの業務遂行の意思を優に制圧するに足りる不当の勢威に当り、刑法第二三四条にいう「威力」に当るものと解さざるを得ない(福岡高裁昭和二九年四月二七日第三刑事部判決参照)。

また弁護人は駅長や操車係が被告人らの行為を簡単に容認したから被告人らの行為と本件事故との間には相当因果関係はないと主張するけれども前掲証人山浦喜牧、同塩田正美、同田崎作三、同大森四郎、同益子政雄らの供述によれば駅長や操車係は被告人らが国労の団体的威力を背景にして線路に立ち塞がつているため止むを得ず列車の運行の停止をせざるを得なかつた事実を優に認めることができるから被告人らの行為と業務停滞との間に因果関係が存しないとする同弁護人の主張もまた理由がない。

同第二点は『本件被告人らの所為は労働組合の「正当な行為」であり、刑法第二三四条の違法性を阻却する。すなわち、被告人らを含む国労組合員の本件ストライキは、河村職員局長を中心とする国鉄当局が労働組合法第一七条の精神にもとづいて永年にわたり築かれてきた多数労働者(多数者組合)尊重の労使慣行を突如ふみにじり、国労の団体交渉権を無視してあえて年度末手当の一方的支給にふみきろうとしたことに対し、労働組合の存在理由そのものと最も重要な団体交渉の権利と機能を侵害から守り、国労の存在意義の無視ないし否定、組合員の幻滅と動揺、組合の分裂、脱退をねらおうとする当局の不当労働行為意図を封じ、労使慣行の尊重を当局に思いしらしめるため、企画決定、遂行されたものであつた。このような、重要な組織の存立をかけた闘争目的と対比したとき、深夜から未明にかけての列車運行の比較的まばらな時間帯のうち二時間に限つて企図されたストライキという闘争手段は決して過当なものとはいえないのである。いうまでもなく本件闘争では明確に「ストライキ」という認識のもとに「ストライキ」と銘うつた手段が選ばれた。これはすでに前年の昭和三六年以来国労が意識的にうち出してきた闘争方式である。ストライキであるからには当然これを全面的に禁止した公労法一七条にてい触する。しかし法律は憲法九八条にまつまでもなく、憲法の定めるところに反してはならないし、これに背反する法律、命令はすべて無効である。被告人らを含む国鉄労働組合員のすべては右三六年来、明確に公労法一七条は違反無効の法規であり、同組合員ら国鉄労働者は憲法二八条によつて完全無欠なストライキ権を保障されているとの信念をかため、この確信を公けんするに至つたのである。同じ鉄道事業に従事する労働者のうち、大半を占める私鉄労働者にはストライキの権利を保障し、少数である国鉄労働者には、かれらが国有の鉄道事業に従事するというだけの理由で全面的にそのスト権を剥奪してしまつてよいとする合理的な理由は何人といえども見出すことができないであろう。鉄道の事業が二時間程度停廃されたからといつて国民生活に回復し難いほどの決定的な困苦をきたすなどとはいかなる強弁をもつてしても説明ができまい。被告人ら国鉄労働組合員のこのような確信はあえてILO理事会等の国際的労働良識にまつまでもなく今日の憲法的秩序のもとで十分すぎるほどの合理性と正当性とをもつものであるというのである。

本件被告人らの行為が正当なストであるとするならば正に弁護人の主張するような種々の論議が為され得るが当裁判所は被告人らの本件所為を正当なストと見ることはできない。何故ならば被告人らの意図が国労に所属する労組員の説得のためのピケであるならば当局と団交が妥結して既に就労を決意している他組合の労組員の行動を間接ではあつても実力によつて阻止するようなことは許さるべくもない。すなわち本件被告人らによる線路内の立塞がりという行為はピケとしては行過ぎたものというべく、被告人らのピケとしては飽迄も国労所属労組員の説得に力を致すべきであつたのである。そしてまた右のような説得を尽すだけならば或いは正当な争議行為の範囲内に止まるものといい得ようが線路に立塞がつて列車の運行を阻止するというに至つてはもはや労組法第一条第二項の争議行為の正当な範囲を逸脱して威力業務妨害罪の構成要件に該当するものといわなければならない(広島高裁岡山支部昭和三二年二月二六日第一刑事部判決)。

弁護人稲葉誠一の主張について。

同弁護人論旨第一点は『ストライキは全労働者の権利である。そのことは労働者が資本主義のなかで、自分たちの労働条件を維持、改善し、自分たちの雇傭の安定を図り、自分たちの地位の向上を図るためにはストライキの権利が不可欠であることから生ずる当然の事理である。しかし昭和二三年七月三一日の政令二〇一号以来、日本の官公労働者はすべてストライキ権を剥奪された。その理由は、公務員が全体の奉仕者であるということであつた。その後引続き公企体労働者も公務員と等しい取扱いを受けるに至つた。公労法は公企体労働者のストライキを禁止するという政令二〇一号の体制を継続しつつ、ただ一般公務員と違つて公社の職員は労働協約締結権を持つという仕組みだけを作り出すことによつて公務員と公社職員との実質的差を作り出すかのようにみせかけようとした。しかしストライキの裏付けを伴わない団体交渉は所詮は陳情に過ぎない。換言すれば、団体交渉で労使が真に対等になり得るためには労働者はストライキという団結力を背景にしていることが不可欠の条件である。日本の労働者は全労働者が連帯して抵抗すべき問題につき当つた時に常にこれら官公労働者のストライキ権剥奪の事実に当面し、その結果、日本労働組合運動の全体としての力量は低下せざるをえなかつた。そうした事実の上で、労働者の生活と権利を無視する政策は着々と実行され強化されてきた。これに抵抗して起つてきたのが官公労働者の所謂遵法闘争であつた。ストライキを法律上禁止されていない行為によつてストライキと同じ効果をあげることを考えた。しかし、その遵法闘争もやがて弾圧の対象となり、かつ遵法闘争を繰り返すことによつては必ずしも効果的な影響を与えることができないということが明らかになるに及んで、やがて組合は遵法闘争を乗り超えた実力行使に出るようになつた。それは官公労働者もまた労働者であり、ストライキ行動によること以外に彼らの権利も生活も維持することができないという単純な事実を反映していた。しかし政府はこれらの必然的な労働者の行動に対して大量の弾圧をもつて報復しさらに労働組合を分裂し壊滅させるための団体交渉拒否や分裂促進工作を敢えて行なつてきた。官公労働運動はこうした強権的、抑圧的な労働政策にみずから抵抗を続ける一方、ILOに対し日本の官公労働法の基本的な不当性を訴えてきた。』

同第二点は『ドライヤー委員会の考え方は次のようなものである。すなわちドライヤー報告書はその多くの部分を公共部門におけるストライキ権問題に当てている。その要旨は、(5)公共部門におけるストライキ権―二一三四以下二一三九項であり、ストライキ権の全面的、絶対的禁止は不合理であると考え、同時にストライキ権の全面的な復活を要求する労働組合も非現実的であると考えている。そこで委員会は、真に必要不可欠な事業とそうでない事業とを区別することを示唆している。そして「公共の困苦」を惹起する事業についてはストライキを制限ないし禁止できるという考え方をとつているが、この「公共の困苦」という観念は「公共の福祉」という観念と対比してよく検討してみなければならない。つまり「公共」というもののとらえ方は、政府・資本の側と労働者の側とでは決定的に対立してくることになる。だから「公共」という抽象的なものよりもむしろ生存権といつた具体的な側面において考えていこうという考え方が出てくる。争議行為の制限禁止はそのストライキが生存権即ち生きる権利、生命の権利に影響をおよぼす場合に限るということになつてくる。労調法における保安スト禁止規定の合憲性はそうした考え方で説明され、またILOも一〇五号(強制労働禁止)条約一条について、刑罰をもつて作業停止を禁止しうる場合として灯台監視人、信号手などをあげるのもそうした考え方で説明がつく。だからドライヤー委員会の考え方はその意味でも単に「基準」となるものの考え方を示したものにすぎないといえる。「公共の困苦」によつてストライキの制限禁止ができるという考え方は多くの国ですでに達成された人命に影響するスト以外は制限禁止できないという考え方にいたる最低の基準を示すものであるにすぎない。ドライヤー報告を最高の目標であるかのようにみることのあやまりはこの場合もまたあきらかに認識される必要がある。』

同第三点は『スト権否認の代償措置は十分な機能を果していない。結社の自由委員会の先例原理によれば、基幹的な事業においてストライキが否認される場合、スト権に代つて労働者の諸権利を十分に保護するための適当な保障がなければならないことは明らかである。しかしながらこの点については従来労働者側から見れば満足すべき運用が見られていない。ストライキ権を剥奪し、その代りにストライキ権で守るべき労働者の権利や利益を他の手段によつて守ろうとすることが如何に無益な試みであるかはイギリスにおける百年近い経験が明瞭にこれを証明している。ストライキ権の「代償」はありえない。ストライキ権を否認しておいて行なう仲裁は国の資金、経済、政策の現実の道具となるか(ILO自体オーストラリア、ニユージーランドの強制仲裁制度についてそういう考え方を示している)せいぜい労使の主張の中間点をとる以上のものでないことは日本における経験上あきらかだし、理論的にも裏づけられる。そうしてみると、いかにしてよい強制仲裁制度を作るかが問題ではなくて、ストライキ権を背景とした交渉力をもつ労働組合が公企体等と対等の立場に立つということが問題の中心になる。ところで結社の自由委員会は、スト権否認ないし代償措置に関する諸原理を繰返すことによつて間接的に現在の制度のもとで行なわれている懲戒処分、刑事弾圧の正当性に疑問を示すという方法をとつた。現在の制度がスト権否認ないし代償措置に関する諸原理にしたがつたものでない限度において現在の制度にもとづいて行なわれている懲戒処分、刑事弾圧は正当でない―労働組合権侵害を構成すると考えるからである。ここで八七号条約第八条一、二項を思い出すのは無益でないと思われる。第八条第一項は、労働者が団結権を行使するに当つて国内法を尊重しなければならないと規定している。したがつて、団結権を侵害する法規―代償措置を欠く、非合理的なスト禁止はその一つ―は尊重さるべきことを主張し得ず、したがつて、これに違反したことを理由にその責を問うことも許されない。現在行なわれている懲戒、刑事弾圧の適、不適は、現在のストライキ禁止制度の適、不適を検討すればそれに相応してあきらかになるというのが結社の自由委員会の結論である。

斯く仔細に世界の労働運動における歴史的経過をみつめ、将来を展望するとき、すくなくとも、

一、全労働者にストライキ権が与えられるのが本筋である。

二、これを労働者の種別によつて差別するときも、その禁止が命令にかかわるときにだけに限定さるべきである。

三、仮にストライキ権を何等かの形で制限するとすれば、当然完全な強制力ある代償措置が認められなければならない。

かかる観点が正しい歴史であるとすれば、日本の公労法は余りに時代遅れであつて、未だに占領時代の亡霊に取りつかれているといわざるを得ない。』というのである。

そこでI・L・O(国際労働機構)理事会で採択された今次のドライヤー報告が為されるに至つた経緯についてみると、昭和三三年(一九五八年)四月、総評および機労はI・L・Oに対し政府の団交拒否(昭和三二年三月のストにより解雇された組合役員が再任されたため政府当局は公労法四条三項違反を理由に組合との団体交渉を拒否した)は98号および87号条約に違反するという提訴をした(いわゆる179号事件)がその内容は〈1〉被解雇者を理由に団交の拒否が行なわれている〈2〉争議行為の禁止は憲法二八条に違反する〈3〉仲裁裁定が完全に実施されていない。という趣旨のものであつた。そしてこの事件について結社の自由に関する実情調査調停委員会(ドライヤー委員会)が発足することとなつた。右委員会は数次の審議を重ねた結果昭和四〇年(一九六五年)九月一日その最終報告書を理事会に提出すると同時にこれを公表した。いわゆるドライヤー報告がこれである。

その結論の要旨中本件に関係あるものを拾えば次のとおりである。

公共部門における労働関係のあり方。

「公共部門における労働関係の主要問題」(二一一八項―二一三三項)の項においては、政令二〇一号以来とられてきたストライキ絶対的禁止の政策が公共部門の紛争を生じさせた発端であり、これが露骨な緊張状態を招くとともに、政府、組合に批判されるべき考え方を持たせたとし、双方に対して反省を促す。

そして「公共部門におけるストライキ権」(二一三四項―二一三九項)、「公的企業間の区別」(二一四〇項、二一四一項)、「ストライキが禁止される場合の代償措置」(二一四二項―二一五六項)と題する項においてはストライキ権を制限する場合の基準を示唆したうえ、これに照してわが国の現行法制のうち変更を要する諸点を指摘する。

(A) 「公共部門における労働関係の主要問題」の項

(1) 終戦後一九四八年までは公共部門の組合はある程度の行動の自由を与えられていたが、ストライキが十分な責任感なしに行なわれた結果、一九四八年にすべての公共部門におけるストライキが完全に禁止されるに至つた事実を指摘し、これがそれ以後の労働関係における露骨な緊急状態を招き、このため政府も組合もきびしい批判を免れないような労働関係についての一般的な考え方を採用することを余儀なくされた(二一一九項―二一二三項)。

(2) すなわち、政府側は「交渉は陳情である」という委員会における証言に特徴づけられるように、公共部門における団体交渉に対して交渉を拒否し、または交渉を無効果もしくは無益とするに等しい態度をとつた(二一二四項)。

(3) 他方、公共部門の組合の若干のものは組合員の経済的利益と無関係な政治運動に執ように従事した。

また総評およびとくに日教組は経済的利益と直接関係のない政治的目的を執ように追求し、政府に対しては政府の責任となつている特定の政策を政治分野において実施させようと努力し、組合に対しては経済的武器であるストライキをこの目的のため行なうことを要求してきた。組合がその領域の全く外にある純粋な政治問題(たとえば「日韓会談を粉砕し、米国の原子力潜水艦の寄港を阻止し、ベトナムからの米軍の撤退を図るための闘争」に関連してストライキの開始を宣するときは、実情調査調停委員会の救済を受けることは期待できない(二一二六項―二一三〇項)。

(4) 委員会はこのような事実認定に基づいて将来政府および総評の両者が政策問題について、一九五二年にILO総会が採択した労働組合運動の独立性に関する決議の条項を規準とするように勧告する。この決議は組合運動の経済的社会的機能が政治的考慮によつてそこなわれることのないよう、その基礎を提供しようとするものである(二一三一項)。委員会は破壊活動は労働組合権ではないという見解を再確認する(二一三二項)。また委員会は政府と組合の間に問題が生じている一半の原因が統治権者としての政府と使用者としての政府を区別していないことにあるという事実にかんがみ、双方がこの区別を明確に理解する必要があると考える(二一三三項)。

(B) 「公共部門におけるストライキ権」「公的企業間の区別」「ストライキが禁止される場合の代償措置」

(1) 無制限なストライキ権の回復も、ストライキの絶対的な禁止も、いずれも非現実的であり、合理的な妥協が必要である(二一三四項、二一三五項)。

政府はすべての争議行為を違法として取り扱う傾向があるが、組合はすべての争議行為を適法と仮定する逆の態度をとつている。委員会はあらゆる争議行為が適法であるというこの考え方を全面的に拒否する(二一三八項)。

(2) 公的役務におけるストライキ権の範囲については結社の自由に関する委員会が確立した次の原則を支持し、かつこの原則がまだ日本においては受け入れられていないことに留意する。

(a) ストライキ権の制限について、業務の中断が公共の困難を提起するがゆえに真に重要な事業と、この基準によれば重要ではない事業とを法律上区別することなく同一の基盤において取扱うことは適当でないこと。

(b) 重要な役務または職業に従事する労働者のストライキ権を制限または禁止する場合には、反面それら労働者の利益を十分に保護する適当な保障が必要であること。

(c) この目的のため、公平な機構を設置しそのいつたん下した決定は完全かつ迅速に実施されるべきこと

(二一三九項、二一四〇項)。

(3) 日本の現行法令においては、公共企業についてその活動の中断が社会に対し現実の困難をもたらす企業と、その中断が公共の利益に及ぼす影響の少ない企業(たとえば、たばこ専売事業)との間に区別をしていないが、この間に区別を認めることによつてのみ政府と総評との見解の相違に架橋することができるから、適当な境界線を設けるよう勧告する(二一四〇項)。

(4) もしストライキの絶対的禁止が適正に緩和され、その代わりにストライキ予告の制度、調停仲裁手続中のストライキ禁止制度がとられるとすれば、組合側も経済的要求を通すためには必ずストライキに訴える外ないという態度を根本的に変更し、社会的自制と責任とを強く意識しなければならない(二一四一項)。

(5) ストライキ禁止の代償措置は概して不適当であり、現行制度を徹底的に検討する必要がある。

(以上は法曹時報第一七巻第一二号一頁ないし四六頁、「ドライヤー報告の検討」川井英良、香城敏麿によつた。)

要するにドライヤー報告は右で明らかなように総評等の「公労法一七条によるスト権の否認は日本国憲法第二八条に反する」という申立については前示のような勧告を為すに止まり、わが国内法の解釈については直接触れるところはなく、もつぱら将来の立法政策を示唆するに止まるもので、このことは同委員会がわが国内法令の解釈や特定の法律が憲法に違反するかどうかなどの判断をする権限を有しないことからして当然のことといわなければならない。しかしながら前記勧告の内容はわれわれが本件の解釈について参考資料とするに足るものである。すなわちドライヤー報告をもつてしてもわが国内法規の解釈については現在わが国における裁判実務上前記諸判例の説示するところに従うほかなく、将来の立法上の改正に期待する以外今日の段階においてはI・L・O条約等によつても未だ弁護人らの主張を採用するに由ないものといわなければならないのである。

以上各弁護人の主張について個別的な判断を示したが当裁判所として最後のしめくくりをすると次の如くになる。

わが憲法第二八条に定めらたれた勤労者の団体行動権の本質については多くの論議があるが、この権利は労働者の集団が個々の労働者と使用者との間の労働力取引を独占的に統制し、使用者またはその団体と対立する独占的な取引単位として共同の取引停止等の集団行動を行なう権利と解するのが相当である。憲法第二八条は個々の労働者が団結しまたは団体行動に参加する権利の保障であると同時に団体としての組合自体の基本権の保障を必然的に含む。そしてこの団体行動権はもつぱら労働取引の相手方である使用者に対して双方独占的取引を展開し、特に罷業によつてこれを労働市場から締出すという特殊な独占活動の権利を含む点で一般の結社権や財産権と本質的に異なる反面、団体行動権の中核はあくまでかような使用者との間の団体的な独占的取引停止の権利であつて使用者の有形的財産権を侵害し得る権利のごときを当然に包含するものではない。

したがつて、ピケツテイングの手段についていえば罷業は一般の経済的独占の行為の場合と同様、取引単位の自由な意思による結合を基礎として成立つている独占活動であり、その意味で経済活動一般の鉄則である意思の自由の原則に服するが故にピケツテイングもまたいはゆる平和的説得の限界を出で得ないこととなる。すなわち、団結の利益を説き、或いは団結の威力を誇示することによつて個々の労働者の内心の動機に対して心理的な圧力を及ぼし、罷業への参加もしくは協力を決意させることは正当であるが、有形力を用い、或いは用いるべきことを告げてその就労行為を強制的に遮断し、もしくは放棄させることは許されない。

いわんや自己の所属する組合と別個な組合の構成員に対してはもちろん右の説得も許されず、その就労行為を阻止するが如きは論外の不法行為である。

本件において見られる国鉄当局の措置はやや穏当を欠くものとして批判を免れないであろうが、国労としても他組合との統一等にその団結による努力を尽すべく、他組合はもとより自己組合の構成員の就労阻止についてはもつぱら平和的説得に力を致すべく、有形力の行使は裁判所として如何にしてもこれを許容することはできない。

以上の次第で被告人らが本件行動に出た動機はまことに掬すべきものはあるけれどもそれはどこ迄も犯罪の情状の問題であつて、犯行の違法性を阻却すべき事由の存在はこれを認めることができない。

(法令の適用)

法律に照すに被告人らの判示各所為はいずれも刑法第二三四条、第二三三条、第六〇条、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に該当するので、いずれも所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人藤川甲子雄を懲役六月に、被告人斎藤桂一郎を懲役四月に処し、情状により刑法第二五条第一項を適用し被告人両名に対しいずれも本裁判確定の日より一年間右各刑の執行を猶予すべく、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文、第一八二条によりそれぞれ主文記載のとおり負担させることとする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 沼尻芳孝 福森浩 大隅乙郎)

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